2012/10/02

記録

ふと自分の部屋を見渡して あ、このパソコン私のじゃない このカーテンも この机も この椅子も この壁も この土地も 自分の体すらも私のものじゃない って思う事がある。 すべてからジっと睨まれている 自分の手や足からも冷ややかに軽蔑されている感覚。 たまたまこんな私が主人になってしまって 本当に申しわけないと謝る。 生きててごめんなさい。 心が居場所を無くして 潰れそうなほど萎縮する。 これ・・・この状態、3年前と似ている。 黒雲再来の予感。 同じこと繰り返してる場合じゃない。 同じこと繰り返してる場合じゃないんだバカヤロー。 さて。以上、闇の記録。

2011/08/15

眠りがやってくることについて

 

ストリッパーは今日も眠る

私たちと同じように眠り夢を見る

きらびやかな照明とベースの効いた音楽をベッドカバーにして

少し疲れたように微笑んで眠る




それにしても

バイトの通勤の時に通るいつもの道

浅草駅からほど近いところ

来る日も来る日も座って男の人を待っている

あまりにも黒々とした髪をもつ(おそらくカツラの)痩せたおばさん

彼女を確認する度

いやあな黒が私を襲う

見たくない。世の中で一番姿を消してほしいおばさん

私はいつか彼女を刺してしまうのではないかと恐れるが

彼女から私と同じ赤い血が流れるであろうことを想像し

身震いして

刺すことはないな、と気休めに安堵する


ああ、あああ。


彼女も夜

横になって眠るのだろうか。




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2011/05/30

キスを拒む装置

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日本人は「はっきりとものを言う」
ことが苦手な人種だと言われる。


相手の気持ちを察してか、
自分に対するエゴか、
「断る」ことがなかなかできない・・・

あなたの周りにもきっといる、
もしかしたらあなたもそのケがあるかも・・・?


私はしごく心配である。

あなたのように「断れない」性格では、

「したくもない残業を」
「したくもない借金の保証人を」
「したくもないKISSを」

する羽目になるのではないだろうか。

特に恋愛に関して、
「わたしはそんなつもりなかったのヨ」
では通用しまい。

どんな理由であれ、
KISSしちまったらそれでお終い。



そんな貴女・貴殿に朗報です。

断れないあなたに代わって
キッパリとサヨナラ言ってくれる、
心強い味方、
『Instead, I Say NO!!』





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2011/05/11

心にずんとのしかかる午前の雨

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頭の中がトロリンと溶けて

しだいに私の意識が遠退いていく。

精神は早々とこの物質に別れを告げ

やがて物質もさらさらと風に削り取られ

消える。

私が空けてしまった小さな穴を

何者かがそっと埋めて

そうして世界はもとどおり。



カミサマの完全犯罪。



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2011/05/07

夢判断

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随分とブログをご無沙汰しておりました。

今朝見た夢を
夢ココロ占いと自分の妄想によって、
判断したいと思います。


見た夢というのがざっくり言うとこれ↓

「小さな駅で、私が改札機を盗む。
しかし捜索する大勢の警官(駅員?)に怖じ気づき、
その場で自首する。
重罪を覚悟していたが、注意のみでおわる。
駅から出て幼稚園のような場所に行く。
トイレに行きたい私。
トイレに行くには小さな螺旋階段を登らなければならない。
こども達はその階段をスイスイと登るのだが、
私は高所が恐くて断念する。」


夢ココロ占いによる
それぞれの意味は


【駅】
今後進むべき道の分かれ目、人生の転機を表す


【改札口】
計画中のことや新しいことに取り組むよい時期


【盗む】
何かを強く求めているココロの表れ
積極的な意欲があるしるしでもあり、
頑張り次第では望みが叶うかも


【警察官】
身近なところにあるルールに不満があるのかも


【螺旋階段】
思い迷うこと、遠回り、立ち止まりながらも
物事はよい方向に運んでいくことを暗示


【こども】
人間的にまだまだ未熟なことを表す
元気な子供の夢は、生活に充実感をもって頑張っているしるし


【トイレ】
見つからなかったり行けない夢なら、
抱えている問題や悩みがしばらく解決しないかも



ここで私なりの解釈


人生の分かれ目である駅という場所。
私の目の前にはいくつもの選択肢が待っている?
しかし私はやけにこじんまりした駅にいる・・

空間を切り替える改札機を盗んで
我がものにするということは、
心または環境を切り替えたいと思う願望のあらわれか?

しかし私はその願望を、
世の中の抗い難いルールの前で
簡単に諦めてしまう。
隠し通せば人生の転機を手に入れられたのに。
そのチャンスを自分だけが独り占めすることに対する
罪悪感に負けたのか、
単純に世間体を気にし過ぎたのか
ほんとうに簡単に諦めてしまう。

そんな私は、
元気な子供が遊び回っている空間に行く。
狭い通路、歩きにくい廊下、
そこは私にとって居心地の良い場所ではなかった。
無邪気に生活を楽しむ自分自身に
何か疑問を感じているのかもしれない。

トイレに行きたい。
トイレに行って不満や憤りを全て吐いてしまいたい。
しかし目の前には不安定な螺旋階段。

無邪気な(過去の?)私は難なく登ってしまうが
どうしても今の自分には恐い。
世のルールに負け、人生の転換に失敗した。
あと少しで、あと少し頑張れば
せめてその不安を口にすることが出来たのに、
それすら諦めてしまった私。




ううむ・・・

とにかく、身動きがとれず
何も達成できないまま諦めてしまう自分を
この夢で見たのだ。


こんな夢を見せられたら
落ち込むなあ・・・・




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2011/04/04

付け足し

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あと、もらった優しさに気づくこと、
小さな思いやりを感じる感性を持つこと。

も、自分のやるべきことに、
一生忘れてはいけないことに、追加です。

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震災後、ふりかえる

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震災後、ようやく自身のブログに登場しました。豊永です。


震災から、24日が経ちました。
まだ、2回のすすり泣きしかしていません。
考えないようにしてきました。

あの日起こったこと、
被害に遭われた方々のこと、
これからの日本の行き先、
そして
自分の作品のこと。

何も考えないようにしてきました。
ニュースを見る時も、映像を直接目に焼き付けないように
被災している方と目を合わせないように
なるべく心を動かさないようにしてきました。


私は卑怯な日本人の一員です。

そしてそのことすら考えないように暮らしてきました。


神戸でも大きな地震がありました。
たくさんの別れ、
たくさんのいたたまれない死、
今なお続く、闇。


自分の記憶に刻まれた恐怖を再認識したことがきっかけとなり、
二度と繰り返してはいけない
もう誰も失いたくない
一瞬で未来を断たれる人がこれ以上出ないように、
そう想い、2年程前から地震の作品を作ってきました。



しかしそれが何になったのでしょう?

あの作品が、一人でも救えたのか?

本当に私は上記の想いを最後まで貫けたのか?



神戸の揺れを経験したし、
制作にあたって本やビデオ、資料もたくさん見てきた。
実際に神戸の方から話を聞く機会もあったし、
防災の現場も見学させてもらった。
地震の惨さは、知っていたはずだった。


なのに

私は何をした?


テレビで助け合う姿を観て、
ボランティアに行く立派な友達を送って、
私はここに留まった。


情けない。

卑怯。


こんな言葉がぴったりの、今の自分。




ただ、一つ考えたことがある。


ボランティアに行くことと、
家族や友達などをいま一度大切に思うこと。


募金することと、
優しい目つきで周りを見つめること。


同じことではないだろうか?



東北関東大震災以降、
神戸の実家に10日間程帰り、
姪っ子と遊びながら考えていた。

何も知らない生後6ヶ月の可愛い姪っ子。
何度も抱きかかえ、高い高いをした。

この子に、そして自分の親に。そして姉に兄に、おばあちゃんに、
なるべく優しく接することが自分のいま出来ることだと思った。
そんな神戸での10日間だった。


東京に戻っても、実行しようと思った。
友達や彼氏、周りの全ての人に
優しさを、安らぎを
与える存在になりたいと思った。

自分の都合や気分を後回しにして、
なるべくにこやかに過ごそうとした。


しかし、なかなか上手くいかなかった。

うざったいワガママで短気な豊永純子が出て来ては、
この考えに息を吹きかけていちいち揺るがしてくる。
心を安らぎの位置に保つことは難しい。


でもやらなければならない。
これができなければ、私は卑怯すぎて、
ボランティアに行くことも、被災地にお金を入れることも、
自分の悪臭が気になって出来そうにない。



いま考えられているのはここまで。

今後の大学院のこととか、
そこでの自分の過ごし方とか、
もっと遠い未来とか、

いまの私には考えられない。


とにかく、清い心に常に立ち返ろうと
努力をする。


いますぐ自分がやれることはこれだけ。
だと思っている。




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